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ssh1073 パークスとスイッツァーとバニラエア(2)〜暴力の内向化 [三題噺]

<2018>


 私が現職に就いたのは1987年4月。元号はまだ昭和。

 時はバブル時代。大学進学を目指す高校生は都会へ都会へと流れ、日東駒専がメチャクチャ難関でした。

 といっても私が赴任した高校は大学進学とはほぼ無縁で、勉強を真面目にやる生徒はごく少数でした。


 今日の学校で起きる暴力は教師が生徒に暴力を振るう体罰が最大の問題でしょう。

 1980年代の学校が抱えていたもっとも厄介な問題は「校内暴力」。これは生徒が教師に暴力を振るうという意味です。今どきの高校生には信じられないでしょうが、80年代は中学生や高校生が徒党を組んだ教員に暴行を加えることが日常的にニュースになっていました。私がかつて通っていた中学は私が卒業して6年ほどして全国ニュースになりました。生徒が集団で職員室に殴り込みをかけて先生たちをボコボコにしちゃったそうで。

 将来大学に進学することを考えていた中学生たちは、そういう荒ぶる生徒たちから上手に逃げながら勉強をして、いわゆる進学校へと進んでいたのでしょう。


 80年代に大学進学と縁のない高校で働くということは、荒ぶる者たちと日々向き合うことを意味しました。

 荒ぶる者たちに小理屈など通じません。教師であることも何の盾にもなりません。毎日毎時間が闘いでした。ナメられたら最後、生徒は誰も言うことを聞いてくれません。授業は崩壊し教室はカオスと化します。

 授業に行くということは、所定の時間を「授業時間」として成立させるという極めて困難なミッションをクリアすることを意味しました。私語や立ち歩きなど序の口、教員がナメられると授業中に教室から堂々と抜け出してどっかに行ってしまいます。サボりなんか日常茶飯事、居眠りならおとなしく部屋にいてくれるだけありがたいくらいです。

 それでも私の初任校では対教師暴力はほとんどありませんでした。職員が有能だったからではなく、単に生徒がいささかの分別があって先生に手を出さなかっただけです。対教師暴力に悩まされていた学校もありました。

 その代わり、物品はよく壊されました。窓ガラス・トイレの扉・ロッカーのふた・ゴミ箱・部室の扉の通風孔・体育の道具等々、とにかくよく破壊されました。


 あのころの高校生は、荒ぶる魂を外に向かって放出していました。いささかの分別があればモノに向かって、それがなければ人間に向かって。


 当地の高校教員は5~8年ほどで人事異動になります。異動は複数の地区の複数のタイプの学校を回ることが義務付けられています。

 私はこのシステムを評価しています。高校教員たるものいろいろな地区でいろいろな規模の学校で働きいろいろなコースのいろいろなレベルの生徒と仕事をするのがいいと思っています。


 ただ、そういう経歴ゆえ、定点観測はできません。

 私の1980年代の高校生の印象は当時の勤務校の生徒のそれであり、90年代も00年代もしかりです。


 初任校を6年で転出した私は1992年、人口9000人ほどの小さな町にある全校生徒300人ほどの高校に赴任しました。農業科と工業科からだけからなる小さな高校です。

 ここで働いているとき、大きな事件が起きます。

 ひとつは尾崎豊の急死。1992年4月のことです。

 もうひとつは一連のオウム事件。もちろん事件としてはこっちの方がはるかに重大です。

 この2件は高校生の価値観を大きく変える大事件であったのでしょう。

 が、当時の私にはそれを感知することはできませんでした。


 というのもこの時期の私は仕事の面でも健康面でも精神面でもどん底でまったく余裕がありませんでした。生徒たちは初任校以上に荒ぶる魂を抱えていました。モノは壊され、学級は崩壊し、櫛の歯が欠けるように生徒が学校から去り、40人でスタートしたクラスは卒業までに30人に減りました。私は心身の不調に悩み何度も仕事を休んで精神科(当時心療内科なんてものはイナカにはなかったのです)を受診しました。ベランダから階下を見下ろすと強烈な引力を感じてあーこのまま落ちてしまえば明日の仕事は来なくていいなと思ったりしました。人間ってあんな感じでふーっと自死しちゃうんでしょうかね。


 何かとトラブルの多い初任校でしたが、実は生徒との関係性を作ることは可能でした。当時の「ツッパリ」たちはけっこう義理堅く、きちんと話を聞いてくれる教員には反抗しませんでした。また彼ら彼女らは基本的にツッパリ同士のケンカや組織の引き締めのためだけにしか手を上げない。カタギには無害だったんです。これは河上亮一や諏訪哲二らが活動していた「プロ教師の会」も指摘していることです。

 2校目にはそういうものがなく、高校生の暴力は無差別でした。注意した一般の人にいきなり殴りかかって怪我させるようなことをここの生徒はやりました。これもプロ教師の会が指摘していることです。ツッパリたちとの義理を実践していれば一応の秩序が保てる時代が90年代に終わり、荒ぶる魂はどこで誰に向かうか予測がつかなくなったのです。


 私の認識が弱っちいのかもしれませんが(何せ心身の不調を患ってましたから)、それでもこのあたりまでは、高校生の荒ぶる魂は一貫して外に向いていたように思います。

 あれ?と思ったのは2000年ころからです。このころからやり場のないフラストレーションを自傷行為に向ける高校生が目立ってきたような感じなんですね。

 自傷行為というとすぐ思い浮かぶのがリストカットでしょう。私自身は1990年代くらいまではあまりそういう事例に接する機会がありませんでしたけど、今の高校教員ならリストカットの事例なんかイヤというほど見聞きしてるでしょう。



 なんだか話がお題から離れている感じですが、私の感覚として、高校生の荒ぶる魂が内側に向き始めたあたりが、キャスリン・スイッツァーのボストン・マラソン強行出場のような行為を素直に認められなくなる転換期じゃないかという気がするんです。

 

 この記事続きます。まだまだ続きます。たぶんあと3~4本続きます。



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コメント 4

nobu

ロックミュージシャンなのに「お母さん、産んでくれてありがとう」「これまで迷惑かけてごめんね」といった内容の唄を歌い、しかもそれがファンから支持されるという、60年代生まれの私の価値観からすると興ざめするような状況になってきたのもこの頃からかもしれません。
by nobu (2018-11-13 13:03) 

shira

>tyuuriさん、niceありがとうございます。
>nobuさん、コメントありがとうございます。
 ちょっと逸れますけど、私はTVなんかでタレントが自分の親のことを「私のお父さん/お母さん」と言って誰も咎めないのがすごく気になるんです。そこは「私の父/母」と謙譲表現すべきでしょうに。少なくとも高校生が面接でそういう言い方したら改めさせます。でもTVのディレクターやらプロデューサーやらがそのまま流しているということは、TV屋さん的にはああいうのは敬語の誤用とは思っていないということでしょう。私はTVごときに日本語を破壊されたくないですが。
by shira (2018-11-14 22:26) 

nobu

TVだけじゃないですけど、「パパ、ママ」も使う人が最近は結構いますね。また、一人称で「僕」を使う人も気になります。子役なら許せますけど、かなり年配の人も使っていますね。

逸れた話に返信してすみません。
by nobu (2018-11-15 21:32) 

shira

>nobuさん、ありがとうございます。 
 「僕」って言えば、石原慎太郎と橋下徹はどちらも一人称「僕」ですよね。偶然でしょうかね。
by shira (2018-11-15 22:11) 

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