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ssh1038 受験生を持つ親の心構え、というお話 [教育問題]

 この記事は2009年10月ころ、当時の勤務校のPTA会報に<3年進路係より>として依頼されて書いたものです。一言で要約してしまえば「親にやれることなんかあんまりないから、みなさんTake it easyで行きましょう」ということです。(一部いじくってあります。)


 「受験生を持つ親の心構え。」雑誌やら新聞記事やらTVやら流言でいっぱい流れてますね。子どもを信頼せよ、あまり干渉するな、大事なことはよく話し合え、などなど。このようにして見事○○大学合格なんて実例も紹介されてたりして、ご立派なことです。だけど、ああいうとこに出てくる成功例って、やたらデキのいい子の話ばっかで、あんまし参考にならんのですよね。

***
 自分が受験生だった時、受験が苦しくてたまらなくて逃げ出したいと思ったことはありませんでした。そりゃ受験勉強は大変でしたけど(特に大学入試は)、まあやるしかなかったですからね。
そんな時代もあったよね、時は流れて今や長男が中3生。私も「受験生の親」です。高校入試だけど。(注:長男は無事高校に進学しました。引き続きただいま年子の次男が高校受験生、はあ〜。)
 まーしかし、実に落ち着かないものですね、受験生の親って立場は。期待と不安と怒りが1:60:39くらいに入り混じって、ホント気分がよろしくない。こんな思いをするのも愚息のボンクラさ加減ゆえであるのは当然ですが、当のご本人は案外ノホホンとしていて。これがまたアタマ来るんだな。
 いや待てよ。自分の受験生時代も、こんな感じだったのか。私の両親も日々苦汁を反芻するような気分だったのかも。子を持って知る親心、親の心子知らず、ですか。


 受験生本人が意外と余裕があるのは、彼ら彼女らは「受験勉強をする」ことができるからでしょう。自分の力で不安を弱めることができる。やれば1ミリでも目標に前進するわけだし、集中してる間は余計なことは考えないものです。学校に行けば相談相手はいっぱいいるし。
 対する親は、基本的に何もできません。テスト結果に一喜一憂(一喜百憂?)させられながら、せいぜい食事や生活に気を遣ってあげるくらい。それに親は相談相手を探すのが難しい。こういう話題は相手を選びます。親って無力です。無力だから不安になります。

 で、人間、不安になるとじっと黙っていられなくなります。
「あんた、勉強してるの?大丈夫なの?間に合うの?」なんて、強い口調でつい言っちゃう。さらに不安になってくると、しまいには「お願いだから○○よりいいとこに受かって」なんて子どもに懇願しちゃったり。(カギカッコ内が女言葉なのが気に入らない方は男言葉に変換してお読みください。)
 大丈夫か?間に合うのか?って言われたって、返事のしようがないですわね。んなもん本人だってわからないし。ましてや懇願されたって困りますわねえ。


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 親なれば、できることならあまり子どもにあれこれうるさいこと言わずに育てたい。余計な世話は焼かず、なるべく子ども自身が考えて行動して、失敗しても自力で立ち直って、少しずつたくましくなっていって欲しい。親は本当に必要な時にだけ手を貸して、後は子どもを信じてじっと見守っていたい。
 でもね、花森安治が言ってましたけど、子どもをじっと見守ることくらい難しいことはないんですよ。
 なぜ?心配だから。不安だから。
 不安だから、じっとしてられない。不安だから、どうしても口を出しちゃう。つい余計な世話を焼いちゃう。

 悪いことに、子どもってのは本当に親を不安にします。ずいぶん大きくなったんだから少しは本人に任せてじっと見守ってみようか、と思った矢先に何かやらかして「このバカヤロー何やってんだ!」てな展開になって、こりゃやっぱ放っとけねえぞと手や口を出し過ぎて、子どもにうっとうしがられて、やっぱり少し見守ろうかと思って、また看過できなくなって…。リサイクルの説明図みたいにグルグル回り。

 でも、親の不安をぶつけられた日にゃ、子どもはたまったもんじゃないですよ。それだけはガマンしないと。

 私は受験生の親だからって、特別立派になることは不要だと思います。そもそも急に立派になんかなれやしません。ハラハラしながら、口を出そうか出すまいかと迷い、ああ余計なこと言っちゃったとクヨクヨし、それでも何とか子どもの喜ぶ顔を見たいと気分を立て直して…とか何とかカッコ悪い過ごし方をしているうちに、どうにかこうにか受験終了。これで御の字ですよ。
 自分の不安を子どもにぶちまけることさえガマンできれば、たぶん決定的なトラブルは起きないはずです。もしガマンしきれないような不安があったら、それは大人同士で何とか処理しましょう。学校にも気楽にご相談ください。私たちは毎年たくさんの受験生を見てますから、何がしかのアドバイスができると思います。私も子の親ですし、「いやあホントに大変ですよねえ、はあ~~~…。」と一緒にため息つくだけでもずいぶん気が楽になるんじゃないでしょうか。

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 大学入試に親が付き添うというのは、かつてはあまり見ない光景でした。某大学では応援団が毎年受験シーズンにこんな看板を持し出して駅前で受験生を迎えていました
 <努力8割運2割 親の付き添いマイナス5割>。
 なかなか傑作だと思いますが、たぶんもう今は出てないでしょうね。今じゃ親の付き添いは当たり前ですから。

 意外に思うかも知れませんが、実は親の付き添いは戦前からよくあったんです。「このごろは受験会場の外で母親が寒さこらえて待っている姿をよく目にする、実に嘆かわしい」という新聞記事が昭和10年ころにあるくらいで。恐らく都市部の富裕層の専業主婦でしょう。
 戦後、昭和30~50年ころになると親の付き添いは珍しくなりますが、これはたぶん親にカネも暇もクルマもなかったから。もっと言うと、そういう貧乏な階層の子ども(例えば私)が大挙して大学受験に挑戦できる時代だったから、親の付き添いは相対的に珍しく見えたのでしょう。

 私もかつては親の付き添いには否定的でしたけど、今では構わないと思ってます。理由は親の精神衛生。子どもはともかく、親の方が落ち着かなくって、とても家でじっと待ってなんかいられない。なら、子どもが嫌がらない限り、同行していいんじゃないですかね。私も1校目受験の時だけは母が兄のアパートに行くという名目で東京まで同行してくれました。切符の手配などは全部自分でやりましたけど。
 ただし。かつて応援団が傑作な看板出してた前述の某大学、昨年度の入試で試験日に付き添いの保護者がバスに殺到し、受験生がバスに乗れず試験に遅刻するというハプニングが起きたそうです。
 何につけ物事には程度というものがあります。試験会場まで一緒に行くってのはやり過ぎじゃないっすかねえ。

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 高校生って突然成長します。あれ?こいつ昨日までと全然違うぞ?―そういう瞬間があります。受験時代には特によくある。のるかそるかの状況に逃げずに立ち向かっているからでしょう。逃げずに立ち向かえば、何か糧を得ます。
 あんなにハラハラしながらあれこれ言いたいのをグッとガマンして見守ってきたのに、受験が済んだら涼しい顔して家を出ていって、いったい何だったんだこれまでの心労は…。ちょいと淋しいですが、そういう結末が一番のHappy Endingなんでしょう。


<追記>  この記事を書いた時の高3生もすでに24〜25歳になっています。このとき担任していた全日制英語科の生徒たちは個性豊かで、高校教員・大学職員・銀行員・メーカー・出版社・塾講師・保険会社・外資系企業・主婦(すでに子持ち)・ソフトウェア会社・医学生(理系に転向して医学部に進学)・芸妓・タレント・航空管制官などになっています。別のクラスには作家デビューした男子もいて、なかなかバラエティに富んだ学年でした。  一方、中3生だった長男は無事に志望の高校に入学し、現在は某大学の工学部で絞られています。
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mai

大学受験での親の付き添い、けっこういましたね。親の控え室なんていうのもありました。確か、大食堂が開放されていた記憶があります。私は自分が受験生なのに、まあ無理はありませんが、てっきり保護者と思われて、アパートだのなんだののビラをいっぱいもらいました。
オープンキャンパスでも親子連れが多く、人気の専攻では教室がいっぱいになるので「保護者の方はご遠慮ください」と言われながら、口のなかで「受験生ですから」とつぶやいて、ヘリっこに立っていました。
by mai (2016-12-16 22:25) 

shira

>tyuuriさん、niceありがとうございます。
>maiさん、nice&コメントありがとうございます。
 長男が某国立大学に受験に行った際も嫁サンがいっしょに行ったのですが、大学側もそういう需要(センター試験の点数を見てから受験を決めたので下見も何もしてない受験生)は織り込み済みで、試験中に保護者向けの説明会が用意されていたそうです。
by shira (2016-12-16 22:53) 

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